丁寧な恋愛がしたい

リトルフォレスト 夏・秋 という映画を見ました。

 

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ところで人生全クリってなんだと思いますか。

ぼくはこの「リトルフォレスト 夏・秋」を彼女と一緒にお家でだらだら見ることやと思いました。

 

この映画、主演の橋本愛がただひたすら自給自足しながらジャムを作ったりパンこねたり甘酒作ったり鴨を捌いたりセックスをしたりするだけの映画なんですけど、これが最高なんですよ。

橋本愛の語りと、それに付き添う音楽。流れる音。空気。

この映画の作る空気感というものが本当に魅力的で、ぼうっと見ているうちに彼女の世界に引き込まれている。一緒にジャムを煮詰める音だとか、パンを捏ねているときの香りとか、外に出たときにむっと感じるじめじめした感触とか、そういうのを感じているような気分になる。

 

ああ。良い。こういうのが良い。

都会暮らししてるから田舎暮らしに憧れる、みたいなとこがあって、結局田舎暮らししてみると嫌になる、みたいな浅ましさが自分にはあるかもしれないけれど。

それでもこれは良いと言いたい。

 

スローライフというのだろうか。そこにあるのは丁寧な暮らしです。

自然と共存するというのは厳しい暮らしだろうけど、だからこそ丁寧に生きねばならないんです。知らんけど。

胡桃を割る、芋を干す、味加減を整える、草を抜く、全てに丁寧さが要求される暮らしです。

そんな丁寧さはきっと余裕というものから出ているんじゃないかと思いました。焦らずに生きる、みたいな。

 

ぼくも焦らずに生きたい。

いや、焦らずに生きなければなんともならないんだけど、余裕を持って生きれるようになりたい。

余裕を持って生きるのが目標なんじゃないかなって思いました。

 

例えばこの映画を土曜の昼下がりに同棲中の彼女と見るとしましょうよ。

「あー、このジャム美味しそう」

「ジャム作ったことある?」

「ケーキ作るときにラズベリージャムを作ったことがある」

「梅ジャム作ったことがあるよ」

「なにそれ美味そう」

「あんことかもよく炊いたなあ」

「あんこってなんかシナモンとか入れると美味そう」

「明日やってみる?」

「小豆戸棚にあったっけー?」

いや、こういう、丁寧な暮らしっぷりを。

というかまず、こんな会話ができるような、丁寧な恋愛がしたい。

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カップルで映画館に来る人たちが羨ましい

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先日、T2を見に行きました。

 

T2本当に良かったんですよ。前作のTrainspottingが好きな方は是非見てください。多分後悔しません。あと前作見てない方も前作見てから見て見てください。見て見て言いすぎてよくわかんないことになってしまった。

 

要するにオッさんがドラッグして酒暴力セェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーックス!!!!! みたいな感じの映画なんですけどね、なんだかこう自分の体内に直接ヘロインでもコカインでもなんでもいいからぶち込まれたような気分になるんです。そんなことしたことないからわかんないんですけど。

 

前作のスタイリッシュさを洗練してさらにスタイリッシュになった映画です。特に「Choose your life!」の語りは本当に痺れました。とにかくオススメです。

 

 

で、この映画観て思ったんですけど、カップルで映画館に来る人たち、羨ましくないですか?

 

ぼくは映画館に行くときはだいたい1人で、別に誰かを誘うようなことをしません。というのも自分は映画好きだけど、相手はつまんなさそうに観てる、みたいな感じになるのが怖すぎる。

 

いや、別に趣味が完全に合う、ということを求めてるんじゃないんですけど、自分のせいで同行者が2時間つまんなさそうにしてるみたいな状況が切ない。

そして自分とこの人は趣味が合わないんだなあ、と実感することがまた怖い。

 

「すぽんくん、好きな映画とかある?」

「ぼくはウェスアンダーソンが好きだなあ」

「ふーん……どういう映画?」

 

この会話がぼくはめちゃくちゃ嫌で、やばい、今ぼくはウェスアンダーソンを知らない人に自分はウェスアンダーソンのどの辺が好きかを説明しなければならない、いや、絶対に君興味ないよね、無理、もう無理、勝手に観てくれ、もうなんでもいい、一緒にクレヨンしんちゃんでも見よ? みたいな気持ちになる。

 

だから趣味が合うというか、相手がつまんなさそうにするだろうな、とかそういうの気兼ねなく一緒に映画に見に行けるカップルがめちゃくちゃ羨ましい。どこで出会ったんだ。街コンとか行けばいいのか。

 

案外映画の話ができる女の子って少ない。

でも一緒にトレインスポッティングとか見に行ったら、セックスシーンが出てきたらどんな顔すればいいのかわからないから、やっぱり映画は1人で見るのがいいのかもしれない。

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23歳のレアチーズケーキ

先日、とうとう23歳になった。

 

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ぼくは常日頃から「23歳はヤバイ、素数やん」と言っていたが、とうとう23歳という割り切れない年齢になってしまった。23歳。素数童貞という言葉の重みを感じたい。

 

23の素数感はかなり高い部類に入ると思う。17の次ぐらいに素数感があるとぼくは思っている。そんな素数感溢れる年齢になって人生を振り返ろうとしたのだけれど、1年遡るごとに「どうしてこうなった!」が積み重なっていき、しまいには崩れてなんか肩が一気に重くなるみたいなことになりそうなのでやめておく。結局何やったって後悔するし何言ったってダメなものはダメなのだ。受け入れるしかない。そう思う。

 

 

しかし23年という人生は長いようで短い。

23年生きてきてもまだわからないことがこの世にはたくさんある。

例えばレアチーズケーキ。

レア、ってなんなんだ。

 

「珍しいチーズケーキなんだよ」

「なんやそれ、けっこー今どこでもあるやん」

「昔は珍しかったんだよ、ほら、だって焼かないんだから」

 

彼女はそう言ってブルーベリージャムをムースの上で伸ばし始めるかもしれないが、それだと少ししっくりこない。ぼくはきっと、うーん、と首を傾げるだろうが、その瞬間を心地よいと思うのだろう。

 

「ステーキで、レアとかミディアムとかあるじゃん?」

「うん。ぼくはミディアムレアが好き」

「それと一緒なんじゃない? レアチーズケーキって生っぽいし」

「でもステーキは火通してるやん。多少は」

「昔は通してたんだよ。多分」

 

そう言って彼女はアイスコーヒーの氷をストローで掻き混ぜようとするかもしれないが、ぼくはやっぱりしっくりこない。でも、またこれか、と思いながらも、そういう彼女が好きなんだなって、また納得するのだろう。

 

 

そういうくだらないことばかり考えてたら23年経っていた。

この23年は、きっと、長い。

 

 

江ノ島さんは、なんだか結構楽しそう

https://twitter.com/joy_gowawa/status/855056183362584577

 

友人のブログに触発されたという恥ずかしいお話。

 

http://syloid.hatenablog.com/entry/2017/04/24/061124

 

 

この友人について語るのは別に関係ないのでいたしません。ちなみに彼女はうんこみたいなやつだとは思いますけど決してうんこではありません。うんこがあんな描くのだったら、ぼくなんてうんカスだと思います。うんカスというのはうんこのカスのことです。モラルハザードなところは同意します。

 

この記事を見ていい文章だと言う人が多くて、ぼくは思いました。「文章で勝負しなきゃなんない自分が負けてちゃいかんだろ!」と。

よっしゃ、じゃあぼくもこの本が読みたくなるような文章書いたろ、と思ったんですけど問題がある。

ぼくの人生、ペラッペラだ。

平穏でクッッッソつまらんものだったから、自分のこととか書いてもペラッペラな文しか書けない。

 

ぼくは京都で生まれて普通に優しい両親に甘やかされて育ち、普通にいい中学に行って普通にいい高校に行き、受験して前期は落ちたけど運良く後期で医学部に行くことができて、それで今もなんだか結構普通に生きてる。

 

挫折なんてしたことないし、自分で努力して何かを得た経験もありません。受験だって普通のことしかしてない。巨人の星みたいな矯正ギプスつけたみたいな経験もない。

 

いつも誰かが教えてくれたこととかに感銘を受けて、誰かに引っ張られた方向に進んで行く。

ずっと自分のアイデンティティに悩みながら生きている。そんなつまらん人生です。

ぼくはつまらん人間だと思います。

 

そんな中であるグループがありました。今回の合同誌を企画してくれたJOY君さんのいる「皆川会」という会です。

シンプルな名前に反して、そのメンバーは曲者揃い。そりゃ、曲者に憧れるぼくですから、その会のことはすぐ好きになりました。

だけどその人たちのいいところはただ曲者なだけじゃないんです。

みんな才気溢れてる面白い人たちなのに、すごく、ハードルが低い。

ヒトに求めるもののハードルの低さ。そして、受け取ったものの多種多様な中にあるものの中から面白いものを見つける嗅覚。それを拾い上げてさらに面白いものにするという。

 

 

そんな人たちのせいで、ぼくは小説を書くことになり、結果として新人賞を取って作家デビューすることになりました。

 

ぼくみたいなつまらん人間の中にあるものを見つけてくれて、そしてそれをぐいぐいと押してくれたのは彼らのおかげです。

 

だから今回のこの合同誌に寄稿できたのは本当に嬉しく思います。

 

江ノ島さんは、なんだか結構楽しそう」というタイトルの短編です。

たぶん、結構うまく書けた。そんな気がします。

背中を押してくれた人たちに、何かを返せたらなと 思って書きました。

だからぼくも誰かの背中を押すような話を書きました。知らんけど。

 

と、まぁ、ぼくの作品はどうでもいいんで、ほかの才気溢れる方々の作品を見てください。

多分、みんな楽しんで書いています。この人たちの根底にあるのは「ぼくたちが作るのは面白いものなんだろ? だったら作ればいいじゃないか」というものです。

みなさんの作品は、決して自分を表現するだけのものじゃなくて、誰かの背中を押すようなものだと思います。

そういう人たちが集まってるんです。

ぼくはそういう人たちが大好きです。

 

ぼくも、そういう人になりたいなと思いました。

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2丁拳銃のボケの人面白いよね

ぼくは映画がそこそこ好きで、小説を書くときとかに参考にすることが結構多い。

例えばこの前受賞した作品は、ウェスアンダーソンの「ダージリン急行」をイメージしていたりするし、会話中に「資本主義のクソどもが! 『ファイトクラブ』見てからもそれ言えんの?」などと言うことがよくある。

そこそこ好きというのは、別に「趣味は映画鑑賞」と言うレベル、というわけではないということだ。映画館はそんなに行かないし、飯田橋ギンレイホールなんて一回しか行ったことがない(上映されていたのは「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」と「グランドブタペストホテル」だった)

でもやはり映画館デートというものには憧れがある。数年前のPOPEYEの「ガールフレンド」という特集で、ええ感じのサブカル系クソ女子、略してサブクソ(ぼくの言うサブクソは悪口ではない、むしろ褒め言葉である)の彼女を捕まえた男がサブクソ女子と飯田橋ギンレイホールに行っていたのを素直に羨ましいと思ったことがある。

ぼくだって女の子と「ムーンライズ・キングダム」とか「ムードインディゴ」とか見て、キスシーンが映るとこっそり彼女をチラ見したりしたいし、映画の感想を神楽坂のコパンという喫茶店でシュークリーム食べながら語るなどしたいのだ。

 

まあ、そんな話は置いておいて、最近見た「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」という映画が面白かったという話がしたい。

ガイリッチー監督の初長編映画。そしてジェイソン・ステイサムのデビュー作として知られるイギリス映画である(ちなみにジェイソン・ステイサムはそんなに大した役じゃないし、何やってたのかあんまり覚えていない)

何やってるのかというと、それはもう、ギャンブルとか窃盗とか麻薬とか銃撃戦とか。悪い奴らの話だけど、実にコミカルでアイロニーに富んでいて、そして見終わった後は爽快な気分になる。

 

そういう面白い映画とか見ると、なぜだか動きが俊敏になったりする。ゴミ箱にゴミを入れる動作が少し気取ってかっこよく見えるような感じになったりする。俺がジェイソン・ステイサムだ。そんな気分。なりません? なるよね? ぼくだけじゃないよね?

 

というわけで最近のぼくの動きは、いつでもポケットから銃が出せるような気にさせるほどかっこいい。でも試験が終わったら「酔拳」を見直そうと思っているので、多分顔の動きが少しうるさくなる。

 

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ベイビー・カレー・ラブ

「カレーを食え、カレーを」

 

と怒られたので積極的に時間を見つけてカレーを食べることに決めた。ぼくはカレーが好きだ。自分でスパイスからカレーを作るぐらい好きなんだ。

 

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なんでカレーにハマったのかは覚えてないけど、多分神保町が大学の近くにあったから自然とそうなったんだと思う。

ぼくは基本的に一人で行動しがちなので、一人でお店で食べてても恥ずかしくもなんともないカレーは、格好の食べ物だったんだと思う。

 

カレーはさ、いつだってぼくの友達だったってわけ。

 

20歳の誕生日のときは、エチオピアで豆カレー辛さ70倍を食べること成人の儀式を果たしたし、ボンディにはほとんど正装に近い格好で行った。

大学に疲れたらライスカレーまんてんのシュウマイカレーを食べた。キッチン南海ではいつもカツカレーを食べるか、イカフライ生姜焼き定食を食べるかで悩んだ。

 

でもいつの間にか疎遠になっていた。別に嫌いになったわけじゃない。タイミングってあるじゃん。

 

ほら、ずっと仲良かった女の子と、そういえば最近連絡とってないな、ってなるとき、あるじゃないですか。

なんかのタイミングなんですよ。「お互い30歳になって相手がいなかったら結婚しよう」なんてサムいこと言い合うような仲だったとしても、気がつけば「最近会ってないな」となる。そうだ。多分、この前最後に会ったときは、向こうがなんか気になる男がいるんだよね、みたいな話をしてたときだ。

そうそう。それでなんだか連絡するのが気がひけてさ。だってほら、別にお互い好きとかそういうわけでもないし、なんかここでまた連絡するのも、ほら、自意識過剰っていうかさ、なんかこう、好きって言ってるみたいやん、なんか、ほら。そういうのちゃうねんな。

別に向こうだってぼくと会いたかったら連絡するやん。そういうの無いやろ。ほら、無いねん。だからこう、別にぼくなんかええってなるわけで、だからタイミングとか、そういうのもなくなるし、今はそういう流れっていうかさ。

 

とか言ってる場合ちゃうねん!!!!

せやからお前は!!!ピーーーーなんや!!!!!

 

というわけでぼくはカレーを食べる。

カレーが好きだ。それには正直になりたいわけです。

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京橋屋カレー

 

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Rojiura Curry SAMURAI @神楽坂

 

「恋」

 

マルセイバターサンドは凄い。

 

美味しいなんて当然のことだから今では誰もそのことに触れなくなった。

例えばクラスでめちゃくちゃ可愛いと有名な女の子の話をするときに「○○ちゃんがこの前ノートに落書きしてたの、見た? MOTHER2どせいさん」と話をするときに、「○○ちゃんは可愛い」と敢えて言わないところと同じだ。みんな知ってるんだ。マルセイバターサンドが美味しいことを。

バターなんていう、凝縮された幸せをそのままクリームにするあたりが憎い。それだとちょっとくどいから、レーズンで、とんとん、と幸せに緩急をつけていくあたりもあざとい。最後にクッキー。クッキーはもう、喜び、という意味でいいと思う。犬の名前にもなるぐらいだし。

 

そんなバターサンドを包む銀紙がぼくは好きである。通貨としてそのまま使えるんじゃないかって思えるほどに美しい。

 

たとえばこれがぎっしり敷き詰められて、畳1畳分になったらどうだろう。金の延べ棒を見たときのような背徳感があるに違いない。触るとき、ぼくはきっと手袋をつけると思う。

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ぼくは思う。この真ん中の文字、「恋」でもいいんじゃないかと。

 

好きな女の子が仮に、誰かにマルセイバターサンドを渡していたらどうだろう。

 

「○○くん、これ」

「あっ、マルセイバターサンドじゃん」

「うん……」

 

ぼくは、教室の左後ろの窓際の席の側、揺れるカーテンが届かないほどの距離で、正面に向かい合った同級生の男に、制服のブレザーを端正に着る彼女がバターサンドを手渡しているのを見ている。

ああ、彼女はあいつに惚れたんだ。

そう思うはずである。

 

ぼくはマルセイバターサンドが、もしかしたら好きじゃないのかもしれない。

いや、マルセイバターサンドに罪はないんだ。悪いのはマルセイバターサンドを憎んでいるぼくなんだ。

マルセイバターサンドを好きにならないなんて、どうなんだろう。

なんの罪のないものを憎むなんて、最低だ。

でも、マルセイバターサンドのこと、好きじゃないのかもしれない。

 

そう思ってぼくは素直に彼女に打ち明けるのだ。

「マルセイバターサンド、好きになれないかもしれない」

彼女は笑う。

「それだけマルセイバターサンドのこと考えてるの、好きじゃない、なんてわけなくない?」

 

世の中、わりとこういうことが多い気がする。知らんけど。

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ちなみに「夜の梅」も、ぼくは通貨になりうると思っている。