愛なんかよりもっといいもんがありそうな気がしてきたベイビー
最近気分がとってもセンチだからよくブログを更新する。しかしセンチになって思い出すことでいいことはなにもない。センチメンタルな感情を持って得をするのは詩人か暇人ぐらいだとどこかで書いた記憶がある。
センチだから花とか買ってみた。元気がない友達に渡すやつである。ぼくはサクッと誰かに花を渡せる人がとてもかっこいいと思っているけど、以前ツイッターに「花渡してくる男ウザイ」という旨をわりとイケイケな女性が言っていたので、ぼくの心はやはり歪んでいるのかと悲しくなった。でも伊丹十三は花とかサクッと買うと思う。ぼくはそれはめちゃくちゃかっこいいと思う。
元気のない友人は、会ったらそれなりに元気そうに振舞っていた。でもこの人のために自分ができることって全然ないなあ、と思ってまた無意味にセンチになった。
ネガティヴセンチモードだから「自分にしかできないことで誰かから必要とされたいな」とか思って、落ち込んでみるみたいなことをする。無意味だとは知っている。そんなことしたってぼくは自分が変わらないということを23年間で学んだ。
ネガティヴセンチモードだから何をしても上手くいかないな、ネガティヴセンチモードだから。
そんなことを思いながら吉祥寺の井の頭公園で1人でぶらぶら歩いてコーヒーとか飲んでみた。ボートに乗ってるカップルを見ながら、ぼく絶対オール漕ぐの下手で怒られるんだろうなとか妄想した。相手おらんけど。
そうしたら「かわいそうだから」みたいな感じで、友人が缶ビール(もちろんサッポロである)をニヤニヤ笑いながら持ってきてくれた。出会った瞬間何も言わずに缶ビールを受け取って、ぷしゅっ、と音を鳴らした瞬間「クズの集まりみたいだ」と笑った。夕方の公園で飲むビールは美味しい。「美味しい酒はノンアルコールだ」と友人は言っていた。
吉祥寺からの帰り道、そのあとに合流した女の子と2人で中央線に乗りながら「たまごボーロ」の話をしていた。「この前暇だったのか知らないけど『たまごボーロ』でツイート検索していたんだよね」と言っていたのを聞いて、変な声だして笑った。ツボに入ったのである。「無印のたまごボーロが熱いらしい」と彼女は言っていた。知らんがな、と思ったけどそのときは面白くてひたすら笑った。
家に帰って気づいたけど、ネガティヴでセンチなモードに入っても、ぼくの周りには面白いことがいっぱい起こっていた。
ポジティヴでポップなモードに入ってたら、多分毎日が楽しくて仕方ないのだと思う。
「ぼくの彼女はコーヒーは浅煎りのコーヒーが好き」と言いたい
最近友人が毎日ブログを更新しているのに触発されて、よくブログを書くようにしている。なんか文章力が上がる気がする。スライムベス倒したときぐらいの経験値。
昨日書いた友人の話。彼女がいる男。
彼と最近サクッと茶をするときがある。「今早稲田のあたりいる」「まじで? ぼくも。茶でもすっか。1時間ぐらい」「じゃあMOJOコーヒーで」とか。「今御茶ノ水」「サク茶したいけどあんま時間ない」「スタバで20分ぐらい」「まかせろ」とかやってる。謎フットワーク。こういうのを女性関係に活かしたい。
彼と話していると知り合ってまだあんまり時が経ってないという感じがする。ぼくが「ニルヴァーナのTシャツ着てる女の周りにはしょーもない男が寄ってくる」みたいなことを言ったときの反応とかに随分親しみがある。
そういえばぼくの中学からの友人はみんなこんな雰囲気のやつが多かったかもしれないと思った。
ぼくの友人はみんなセンスが良かった。面白いものやかっこいいものを見つけるのがうまい。そしてぼくみたいな「死んだ魚の方が貫禄がある」と思われるような人間と仲良くできるぐらいなんだから非常に心が広い。あと前向きで明るい。そして彼女がいる。その彼女のことをかなり大事にしてやがる。
だから初めて会ったときも「やっほー、久しぶり」みたいな感覚だった。彼女がいると話をされたときも「どうせ可愛いんだろ、クソが」と思った。実際可愛かったから「へっへー。そういう感じね」と微妙な反応をしておいた。
以前別の友人と「人には0→1にするタイプと1→100にするタイプがいるよな」と話をした。「0→1」というのはとてもクリエイティブで魅力的だし、ぼくもそういうのに憧れる。単純なバカだから。
「1→100」はどうなんだって話になるけど、これも誰でもできるものではない。実際できる人はかなり少ないと思う。
どっちが欠けてもダメだしどっちも重要な要素だと思う。
ぼくの友人には「1→100」タイプが多かった。だからぼくも「0→1」ができるように頑張ってなるから、一緒に100にしたいね、みたいな話をする。
こういう話を、女の子としたかった。
ミルクセーキのセーキってなんだ
神保町のさぼうるという喫茶店で友人とお茶した。
友人は「サクッとお茶できるサクフレが欲しい」と「セフレが欲しいんだよな」と同じテンションで言う男である。ぼくは「セフレが欲しいんだよな」と言われたときの「うん」と同じテンションで「うん」と返した。
ぼくはいちごジュースを注文した。さぼうるの名物でもあるいちごジュースは、氷とミルクとイチゴシロップやらなんやらをミキサーで混ぜただけのジュースである。そこまでフレッシュだと感じることもないのだけれど、なんだか美味い気がする。
友人はミルクセーキを注文した。
「ミルクセーキってなんやろ」
「わかんないけど、甘いやつでしょ?」
「ちょっと待って。検索する。現代っ子やから」
注文した飲み物が届いたとたんにぼくたちはInstagramを起動する。現代っ子である。
そうして翌日見返したら、ぼくのあげた写真と並んで、友人も同じ構図、ただし撮られた向きが違う、みたいな写真を投稿していた。
別に恋人といるとは言ってないけど、あの時間あの2人は同じ空間にいて同じ写真を撮ってましたみたいな。
ぼくはそういうのを彼女とやりたい。「いやあ、バンドスピナー探しててさあ」とか言ってる男となぜこんなことをしなければならないのか。悔しかったから「ミルクセーキなんてカスタードクリームと一緒やぞ」と言っておいた。
友人のiPhoneのホーム画面がチラッと見えたらめちゃ綺麗な女性が見えたので「それ誰?」と言ったら「この彼女超よくない?」と言ってきた。フォトジェニックな彼女だという。
確かにめちゃくちゃ可愛かったし正直モデルだと思ってた。悔しかったので「ほっ、ほぉ〜ん」と微妙な反応をしてやった。
めちゃくちゃ羨ましい。
ぼくも彼女のことめちゃ好きになりたいし、彼女のフォトジェニックな写真を撮って「この写真可愛くない?」と彼女に見せて「ほんとだ! よく撮れてる!」とか言われたいし、iPhoneのホーム画面にいつもしてるけど彼女の前じゃ恥ずかしいから好きなイラストレーターのイラストにホーム画面変えたりしたいし、彼女の丸眼鏡を一緒に選びに行って「すごい、サブカルクソ野郎感がする」とか笑いたいし、一緒に料理しながらよなよなエール飲んで「出来る前に一本あけちゃったよ」とか言いたいし、それで一緒に大きく手を振って歩いてナチュラルローソンに行って「僕ビール、君ビール」買ったりしたいし、帰り道に神田川沿いを歩きながら「紫陽花好きなんだよね」とかやりたい。
世間一般の一般男子はこういうことをやってるらしい。
ぼくは何をしていたのだろう。
そう思って自分のInstagramを開いたら、1人でもなんか楽しそうだった。
非常階段の揺れかた
中お代わりとはこういうこと。
学校に来ました。
昨日までは「もう無理!終了!終了〜!」とか言って家から一歩も出る気がなかったけど、朝起きてとりあえずランニングしてシャワー浴びて椅子に座って、めっちゃ重い腰、重いっていうよりかは椅子に引っ張られてる感じの腰を無理やりあげた。自転車漕ぎながら「今なら引き返せる」と何度も唱えた。神田川がきたない。風がぬるい。桜蔭高校の制服を着た女子高生たちが胸を張って歩いているのがつらい。ぼくは胸を張って自転車を漕いでいるか。猫背である。
なんとか大学についた。実習に行こうか五分ぐらい悩んだ。実習着に着替えてるときに、上着を着て、ズボンを変えようとしているときにパンツのまま30秒ぐらい手が止まった。
はじまってみたらなんかみんなが優しい。さっきまで世の中は全て俺の敵、みんな俺のことバカにしてるんだぜ、みたいなことをずっと考えてたのになあ。NHKへようこそ! かよ。ようこそかよ!
誰しもメンタルに波はあるのだと思うけど、23歳にしてこの起伏はちょっとやばいんじゃないかなーって思う。まぁ、波に乗ってるときも別に何かできるわけでもない。せいぜい頑張って蛇を首に巻いてイェーイができるレベルのことしかできないと思う。したことないけど。でも落ち込んでるときにとことん落ち込んでしまって何もできなくなってしまう。要するにただの無能なのである。
そういうときの回復の仕方を知りたい。いつもどうやって回復してるんだろうと思う。
とりあえず今は非常階段に座って缶コーヒーのんでる。
誰かが階段に来るたびにバタバタ揺れるし落ち着かないけど、コーヒーが美味しくなるわけでもないけど、非常階段はわりと座り心地がいい気がする。
山羊になりたい。
山羊に蹴られて死んじまえ
昨日も今日も大学を休んだ。
今はモンスターエナジーウルトラとかいうエナジードリンク飲んでる。ちなみに今日はもう何も予定がない。なんでエネルギーチャージしてんだ。でもモンスターエナジーウルトラめっちゃ好き。白い缶のやつ。
ぼくは基本的にメンタルがクソザコだからこうやってすぐ逃げる。逃避大事とか人生知った風なことを言ってみるけどそんなに人生経験してない。23年間生きてきて言えることで、もっとも説得力あるのは「キレートレモンはそこそこ美味い」ぐらいである。
昨日は大学を休んで朝からゴロゴロして、映画「ムーンライズキングダム」を見た。多分4回目ぐらい。ウェス・アンダーソン好き。
それでアマゾンプライムに「バッカーノ!」が入ってたから「バッカーノ!」を見た。担当さんに「君の作品はダメなバッカーノ!だ」と言われたけど、「ダメ」って言葉で修飾しても比べ物にならないぐらい「バッカーノ!」が良かった。なんじゃこりゃ。凄い。ぼくの原稿なんか山羊に食わせたほうがいい。
ああ、山羊。山羊よ。
ぼくは山羊がめちゃ好きである。
家族旅行に毎年信州に行く。そのときに八ヶ岳の原村にある、農場大学みたいなところの牧場に行って野菜や牛乳などを買うのであるが、なんか知らんけどそこには山羊がいる。
そこの山羊を見るのが毎年楽しみなのだ。山羊。ずっと見てられる。山羊は凄い。卓越した目をしてる。多分ぼくより人生経験が豊富である。山羊生経験でも人生経験でも負けてると思う。山羊なら23年生きたら多分「ジャン=リュック・ゴダールだって女ってもんはなんだかわからなかったんだよ」みたいなことをすごい説得力で言うと思う。
そういえば以前「山羊の降る夜に会いましょう」って作品を書いたことがある。「森見登美彦と村上春樹を足して水で薄めた感じ」と評されてめっちゃ笑った。村上春樹は「キャッチャー・インザ・ライ」 しか読んだことがない。森見登美彦は好きだけど。
大学に山羊とかいないかな。
大学に行くと自分は無能だってことを知ることしかできないから行きたくない。そこで「なんとかせなあかん」と奮起するのが大事なんだろうけど、できないものはできないのである。ぼくはそれぐらいダメ人間である。
山羊は凄い。カシミヤだって山羊の毛から作られるんだから。カシミヤのセーターって本当に暖かいよね。山羊は凄いぞ。
萩の月は満月である
今日食べたんあんみつである
ここ1週間ずっと元気が出なかった。
何をやってもダメ状態。いや、今まで良かったことがあったのか。
創作の方も今はもうダメだーって感じで。自分の作品を読み直してもなんじゃこりゃって感じだし、世に出てる作品読んだら自分の作品の拙さがどどどどどーっておし寄せる。
書いてる時はそりゃ当然、俺が一番面白いみたいな気持ちになるんだけど、というかそうしないと書けない。俺の作品つまんねーってなりながら書くとか相当ドMだと思う。
というわけで今週はもうダメ! 閉店! ARMSのミェンミェンちゃんが可愛い! そんでサクッと死のう!
とかブログに書いて何がしたいんだって思い始めてきた。
それはそうと、never young beachの「明るい未来」のPVが最高だった。
出演してるモデルのkanocoさんがFRAPBOISのモデルやってるのを見て一目惚れしてから数年経った。
いや、ほんとに可愛い。最高。らぶ。
ぼくもこうやって丸眼鏡かけた女の子と一緒にバッティングセンターとか行きたいし(ちなみにぼくは野球ができない)、一緒に卓球したいし(ぼくは球技がてんでダメである)、服屋とか巡りたいし(帽子とか選びたい)、ビール飲みながら一緒に料理とかしたい(ビール飲んだあとにハァ〜っていうやつがやりたい)
同棲チックなことがしたい。なんか家帰ってきたら「おかえり〜」とか言って彼女がグレーのスウェット着てスーファチの星のカービィSDXやってて「ご飯食べた?」「まだ」「たべる? 冷蔵庫に納豆と豆腐があるけど」「いや、今日はいいや」とかやっておもむろに2コン持って一緒にカービィし始めて「すぽんくん、萩の月の萩って何か知ってる?」「荻窪の荻やろ?」「違うんだよ〜それが! 私も会社で同じこと言ったんだけどね、漢字が違うの。実は」「えっ、ほんまに?」みたいな話をしてダラダラと「洞窟大作戦」してたら眠くなってきて「もう寝る」「私まだやってるから」「明日も仕事でしょ?」「遅番でーす」とかやって歯磨いて寝たりしたい。
そんなことを萩の月を食べながら考えてた。多分疲れてるんだと思う。
今は「自分にはなんにも才能がない期」だからもう無理である。
来週あたりにコロッと「これから頑張ろう期」になればいいなと思う。ぼくはちょろいから多分なんとかなる。
橋本愛と付き合って三年目である世界に行きたい
懲りずにリトルフォレストの話をします。
「リトルフォレスト 冬・春」を見ました。
これも前作と同じで橋本愛がただひたすらに自給自足しながらあんこを炊きケーキを焼き小麦を捏ね山菜を摘むだけの映画なんですけど、もうその魅力はぼくの少ない人生経験と語彙では語りきれないのでとにかく見てください。
この橋本愛演じる「いち子」が本当に素敵な女性なんですよ。
負けず嫌いで頑固、なんでも1人で出来るしっかりもの、でもちょっと現実逃避とかしちゃうところもある、みたいな。
脆いところもある、けど、強くて逞しい女性です。
そしてこの映画を見ていると、このいち子と自分が、共に長い時間を過ごしたかのような錯覚に陥る。
そう、まるで付き合って三年目の彼女みたいな。もう、そこにいるのが自然で、当たり前、みたいな。その日常が明日も来るんじゃないかって。
ぼくは東京に今住んでるから彼女もきっと東京なのだろう。多分、東急東横線のどこかに住んでいる。学芸大学前からちょっと離れたところ。15分ぐらい歩くかもしれない。坂道だから、自転車で駅に向かうのも大変だ。
彼女の家に着くと、彼女が好きなドライフラワーが玄関に飾ってある。その香りを嗅ぐと、ああ、彼女がそこにいるんだな、と安心する。彼女はラベンダーが好きだった。でも香料のラベンダーは嫌いらしい。一度、ラベンダーの香りのする洗剤を買うと、むっ、とした顔をされたことがある。
彼女はぼくの1つ年上で、社会人二年目だ。だから最近は彼女とゆっくり過ごすのは土日だけに限られる。平日、彼女はいつも疲れた顔をして帰って来るから、彼女の得意な料理を食べるのはなんだか申し訳ない。でも彼女はぼくがやって来ると知ってると、前日になにかしら仕込んでくれるので、ぼくはいつもそれに甘えてしまう。
その日は土曜日の昼下がり。2人でぼうっと映画を見ていた。何回も見たはずの「南極料理人」だった。
映画が終わると、彼女は、ぽつり、と呟いた。
「仕事、辞めよっかなあ」
ぼくはちょっと黙って、驚いたふりをする。
「どうしたん?」
「いや、ちょっと、考えちゃってさ。なんかこのままでいいのかなーって」
ぼくはなんて答えればいいのかわからず、愛想笑いに勤しんだ。
「いいんじゃない?」
「そんな簡単な話じゃないんだよ、すぽん君」
「君が言い出したんやんか」
「でもなーって。なっちゃう」
「君ならなんでも出来ると思うし、辞めてからいろいろ考えてみてもいいかも」
「私はすぽん君みたいに何も考えず楽観的に生きていけるわけじゃないの」
彼女は尖った口調でそう言って、キッチンの方に向かった。「じゃん」と自慢げに彼女が持ってきたのは、細長いパウンドケーキである。
「言いすぎた。楽観的なすぽん君。とりあえず食べよ。パウンドケーキです」
「うまそう」
「今回はね、柚子と、クリームチーズ」
「柚子かあ」
「意外とね、合うんだよ。クリームチーズってだいたいの果物いけるんじゃないかな」
そんな感じの、生活をしていた気がする。
ちなみにぼくは今、1人で、もやしを茹でたやつを食べていた。