「死にたがりビバップ」について

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「本発売するんですよ」と言ったらほぼ間違いなく「どんなはなしなんです?」と聞かれる。至極当然の疑問である。

しかし返答にいつも困る。一文で言い表すのがとても難しいお話だからだ。

簡単に言えば「自殺志願者が同じ列車に乗り合わせてどんぱちする話」である。どんぱちと聞いたらやはりボボボーボ・ボーボボを思い出すのはそういう世代だからだ。

 

しかしぼくはこの作品にいろんなものを練り込んだ。23年間、ぼくが培ってきた夢、偏見、邪念。ちなみに夢は1割程度で残りの9割を偏見と邪念が占めている。

多分、「読者を楽しませよう」という気持ちがあまりない。そこが「ライトノベル」らしくないのだと思う。

だからと言ってぼくはそんなに崇高な思想など持っていない。そういうのがあれば純文学を書いている。

これはアレだ。ほとんど女子高生のブログみたいなもんだ。そういう作品である。

 

様々なキャラクターの一人称から文章が形成されている。このやり方は「夢水清志郎シリーズ」の作者「はやみねかおる」の影響を受けている。「森見登美彦っぽい」と言われたことがあるけれど、断固ぼくは「はやみねかおるに影響を受けた」と言いたい。

影響を受けたのは受けたけど、多分誤った解釈をしたから文章はそれはもう酷いもんである。自分で書いてて阿呆かと思った。

どういう文章かっていうのは今は多分公開は出来ないんだけど、というかほとんどぼくのブログみたいな感じである。それが一人称が私になったり俺になったり、女の子の「私」になったりするだけだ。

 

というか本当に好き勝手やったな。読み直してても酷いな! と思う。

「いや、この作品で大事なのは『やりきること』だ」

スニーカー編集部でこの言葉を受けたときは「いや、売れることを考えようや」とさすがのぼくも鹿威しの音がなったぐらいでポカンとしたのだけど、家に帰って「編集部でそう言われたからな〜」と好き勝手に改稿した。めっちゃ怒られると思ったけど、意外と「まぁ、これはこれで文体とかも魅力的ということで、あえて細かいところは変えない方針で」と言われて、それで良いのかスニーカー! とびっくらこいた。編集部の懐の深さに対する感謝の念はゲルマデック海溝よりも深い。ちなみにゲルマデック海溝は「金色のガッシュ」で学んだ。

 

この作品の主人公には、運命的な出会いをするヒロインもいないし、主人公のことを何かと気にかけてくれる幼馴染もいないし、料理が得意な妹もいない。そして主人公は「俺は普通の人間だ」とか言わないし、普通と言いながらも妙に頭が良くて機転がきくみたいなこともできない。

この作品は群像劇っぽくプロットがとても練られていてキャラクターの行動とキャラクターの行動があるとき一線に交わってスパッと爽快!みたいな展開もあるわけではない。

 

でも、世にある「ライトノベル」とはちょっと違った「ライトノベル」が出来上がったのではないかなと思う。むしろ、これと似たような作品を書く馬鹿がこの世にもう1人いたら大変だと思う。

 

面白いかどうかはわからないけれど、是非手に取って欲しいし読んで欲しいし、「こいつは馬鹿だ!」と思って欲しい。

 

 

宣伝は難しい。「これ面白いですよ!」って自分で言うのはとても恥ずかしいものである。

 

でも、言えることとしては、

ぼくは書いてて超楽しかった。

あと、カレーの描写だけは力を入れたつもりである。

 

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