上海蟹食べたい あなたと食べたい
くるりの上海蟹の曲ばっかり聴いてる。今更かよ!
しかし「上海蟹食べたい あなたと食べたい」って歌詞がとても良い。
ぼくは美味しいものを食べること美味しいお酒を飲むことがとても好きだ。多分嫌いな人っていないんだろうけど。
食べ物には躊躇なくお金を落としている。特にジェラートやどら焼きは見かけたら絶対に買っている気がする。
でも、それ以上に女の子のことが好きである。年がら年中、女の子のことばかり考えている。POPEYEの「女の子のことばかり考えていたら、あっという間に正月だ!」というコピーはとても良かった。
例えば美味しいものを食べたとき。1人でもなんでも。友達と一緒でも。よく思うのは「ああ、これあの人に食べてもらいたい!」とか。
そのあの人は、仲の良い家族だったり友人だったりするし、そして何より自分の好きな女の子だったりする。
多分上海蟹だって食べると「ああ、あの子と食べたいな」とかそういう気持ちになると思う。
美味しいものを食べることも好きだけど、美味しいものを食べている人も好きだ。
だから2人で並んだり向かい合ったりして美味しいものを食べるっていうのは最高だ。横顔も正面から見た顔も可愛い女の子なら尊い。
ジェラートやソフトクリームだったら食べ方に人があらわれるし、そういうのも良い。この人はこんな風に食べるのか。そんな発見をしたい。
そんなことばかり考えていると、あっという間に正午である。
ちなみに昨日は1人でまたホッピーを飲んでいた。一人飲みの頻度がすごい。なんだ今の文章。まるで女の子といっぱいご飯食べたことがあるみたいな顔しやがって。
ちなみに女の子にホッピーを飲ませたいとは全く思わない。
日本酒は広島とか福島とかのが好きかなあ。辛口がいいよ。なんでも辛口が。
「死にたがりビバップ」について
「本発売するんですよ」と言ったらほぼ間違いなく「どんなはなしなんです?」と聞かれる。至極当然の疑問である。
しかし返答にいつも困る。一文で言い表すのがとても難しいお話だからだ。
簡単に言えば「自殺志願者が同じ列車に乗り合わせてどんぱちする話」である。どんぱちと聞いたらやはりボボボーボ・ボーボボを思い出すのはそういう世代だからだ。
しかしぼくはこの作品にいろんなものを練り込んだ。23年間、ぼくが培ってきた夢、偏見、邪念。ちなみに夢は1割程度で残りの9割を偏見と邪念が占めている。
多分、「読者を楽しませよう」という気持ちがあまりない。そこが「ライトノベル」らしくないのだと思う。
だからと言ってぼくはそんなに崇高な思想など持っていない。そういうのがあれば純文学を書いている。
これはアレだ。ほとんど女子高生のブログみたいなもんだ。そういう作品である。
様々なキャラクターの一人称から文章が形成されている。このやり方は「夢水清志郎シリーズ」の作者「はやみねかおる」の影響を受けている。「森見登美彦っぽい」と言われたことがあるけれど、断固ぼくは「はやみねかおるに影響を受けた」と言いたい。
影響を受けたのは受けたけど、多分誤った解釈をしたから文章はそれはもう酷いもんである。自分で書いてて阿呆かと思った。
どういう文章かっていうのは今は多分公開は出来ないんだけど、というかほとんどぼくのブログみたいな感じである。それが一人称が私になったり俺になったり、女の子の「私」になったりするだけだ。
というか本当に好き勝手やったな。読み直してても酷いな! と思う。
「いや、この作品で大事なのは『やりきること』だ」
スニーカー編集部でこの言葉を受けたときは「いや、売れることを考えようや」とさすがのぼくも鹿威しの音がなったぐらいでポカンとしたのだけど、家に帰って「編集部でそう言われたからな〜」と好き勝手に改稿した。めっちゃ怒られると思ったけど、意外と「まぁ、これはこれで文体とかも魅力的ということで、あえて細かいところは変えない方針で」と言われて、それで良いのかスニーカー! とびっくらこいた。編集部の懐の深さに対する感謝の念はゲルマデック海溝よりも深い。ちなみにゲルマデック海溝は「金色のガッシュ」で学んだ。
この作品の主人公には、運命的な出会いをするヒロインもいないし、主人公のことを何かと気にかけてくれる幼馴染もいないし、料理が得意な妹もいない。そして主人公は「俺は普通の人間だ」とか言わないし、普通と言いながらも妙に頭が良くて機転がきくみたいなこともできない。
この作品は群像劇っぽくプロットがとても練られていてキャラクターの行動とキャラクターの行動があるとき一線に交わってスパッと爽快!みたいな展開もあるわけではない。
でも、世にある「ライトノベル」とはちょっと違った「ライトノベル」が出来上がったのではないかなと思う。むしろ、これと似たような作品を書く馬鹿がこの世にもう1人いたら大変だと思う。
面白いかどうかはわからないけれど、是非手に取って欲しいし読んで欲しいし、「こいつは馬鹿だ!」と思って欲しい。
宣伝は難しい。「これ面白いですよ!」って自分で言うのはとても恥ずかしいものである。
でも、言えることとしては、
ぼくは書いてて超楽しかった。
あと、カレーの描写だけは力を入れたつもりである。
POPEYE に聞いてみろ
昔の写真を見直してたらレモン牛乳を飲んでいた。
POPEYEという雑誌がある。
magazine for city boyと謳うこの雑誌がぼくは好きで、毎月出るたびに必ず目を通し、シティーボーイとは何かをセブンイレブンの店内で考え、そしてモンスターエナジーウルトラを買う。
特に毎年1月に出す「ガールフレンド」という特集の号が大好きだ。その月だけはmagazine for city girl と表紙に書かれている。POPEYEを買うシティーボーイの恋人たるシティガールのための雑誌に変わるのである。なんとも洒落たことをする。
しかし何がいいかって、「女の子のためにできる100のこと」とかそういう企画であるというのに、載っていることが全部男の一人歩きした妄想なところである。
いや、女の子が「彼氏には絶対にツイードのジャケットを着てほしい!」なんて言うだろうか。ぼくの知る限り、女の子というものは彼氏がファッションオタクだったらドン引きするものである。
「外国人風のラブレターを書く」
いや、キモい! はっきり言ってキモい!いまどきラブレターとか100年の恋はさすがに「まぁ、たまには……」とイケるかもしれないけれど、半年程度の恋ならば確実に冷める。ラブレターが遺書になる。
「『ごっつええ感じ』のDVDを用意する」
だいたい「ダウンタウンは天才」とか語り出す男はダメである。ガキ使のトークのDVDとかも普通は隠すべきだ。趣味の押し付けは良くない。
その他にも映画の話とか本の話とかいろいろあるけど、どれもこれも女の子が好きそうなものではなく「こじらせた男が好きそうなもの」ばかり載っていて、もしそんな映画を女の子に勧めようなものならドン引きされるだろうって感じがする。ミシェル・ゴンドリー好きな男は何をやってもダメなのだ。女の子は「美女と野獣」が好きなのだ。
でもぼくは「POPEYEでイケてるとされている男」がイケてると信じているし、そういう行動を頑張ってとる。女の子が重そうな荷物を持っていたら「持つよ」ってちゃんと言うし、会う前にはええ感じの(自分にとって)手土産なども用意する。頭の中では「だってPOPEYEにそう書いてあったから」と言っている。
目指せシティボーイ、なんて言いながらパラブーツを磨くし、シャツも第一ボタンまで締める。
しかしシティーボーイって言葉の意味が未だになんなのかわからない。
だいたい23歳の、女の子の手も繋げないような男が「ガールフレンド特集」を読んでいるという現実、しんどい。非常にしんどい。
レモネードのド、コーヒーのヒー
なんかいい構図の写真。
毎日生きてると楽しいことも面白いこともある。
木曜日は飲み友達が大阪に去るということ最後に挨拶をしに行くことになった。
ぼくはふらりと花を買うことがかっこいいと思ってる。だからふらりと花を買って贈ろう、そうすればぼくはかっこいいはずである、と自分が加瀬亮になったイメージで花屋に向かった。贈る相手は男だけど。
だって女の子に花を贈るって難しいやん。
なんかの漫画で「花を貰って喜ばない女の子はいない」とか聞いたことがある気がするし、BLUE GIANTにも「私、お花だーいすき」というセリフがあってそこでうるうるした記憶がある。
でも実際花に興味はない女の子はいるだろうし、だいたい好きでもない男に花を贈られるってけっこーしんどいと思う。
でもぼくは女の子に花を贈るシチュエーションが好きだしそんなことができるようになりたい。これはPOPEYEの読みすぎである。
バイトが終わって21時。いそいで神保町から吉祥寺に向かう。22時ぐらいになったかな。東京を去る友人はなかなか来なくて、別の飲み友達と待ちながら「あいつなにしてんのや」とビールを飲んでいた。疲れていたからか、ビールはすぐなくなった。
しゃあしゃあと女の子を引き連れて友人はやって来て「くそやくそや」と汚い言葉で罵りあった。別れのムードがまるでない。
花を贈ったときの反応はこうだった。
「お前、女の子に贈れや!」
至極当然の反応である。けらけら笑った。
そしてぼくはこの人は絶対に泥酔して花を忘れて帰るに違いない、と思っていた。オチとしては完璧である。むしろそうなってくれ、と思っていた。
しかし友人はちゃんと持って帰った。いいとこあるな、と思っていたら、その花をその日の宿に忘れて来たらしい。別の友人が花を家に飾ってて笑った。
花を買うとなんだかいつもいいことがある気がする。こうやって笑い話ができるのも、花のおかげである。
大親友の彼女のほうが美味しいパスタ作る場合
昨日は朝から腹痛で大学に行く気が泣くなり、休みの連絡を入れてトイレに篭っていた。腹痛が治ったら雨の中サフレ(サクッとお茶をするフレンズ)とお茶をする。「どうすれば彼女とデートしてる風な写真を撮れるか」とひたすら2人でInstagramを起動する。窓の外を見ると、そんなぼくらを「アホか」と言うように豪雨。俯瞰視してもいいことがあるのはサッカーの試合中ぐらいである。
その前日には、高校からの親友と親友の彼女と三人で秋葉原で飲んでいた。
親友は彼女と付き合って四年目であり、結婚のことなんても考えてるとかいう。生年月日が全く同じだから、ぼくも同じように2001年に小学生になって同じオリンピックを同じ年齢で見て同じセンター試験を受けて同じ成人式をサボったはずなのに、この差はなんだ、と思いながらぼくは親友と親友の彼女を待った。
親友の彼女はめちゃくちゃ可愛かった。
可愛すぎて嫉妬とかも起きない。「あ〜ぼくはこの子とは絶対付き合えないな〜」と完全降伏。親友のことは尊敬していたが、そんな素敵な女の子を四年も恋人関係でい続けたのは本当にすごい。さらに尊敬した。
親友の彼女は何を頼んでたっけ。もやしナムルとシークワーサーサワーだったっけな。親友の彼女が1杯飲む間に、ぼくは4杯も飲んでたけど、親友はいつもはぼくと同じぐらい飲んでるというのに彼女に合わせていつもより飲まない。かっこいい。
ぼくはさすがにいいやつぶらなあかんと思って、親友がトイレに立ったときに彼女に「あいつはアホやけど本当にいいやつだから」と言った。彼女はにっこりと笑って「私もそう思います」なんて言う。やめろ。死ぬ。可愛い。
解散するときに、駅の改札まで2人を見送る。バイバーイと笑顔の表情で2人はくるりとぼくに背を向けて、そして改札を通り過ぎると2人の表情が変わる。カップルの表情だ。
カップルの表情。2人でいるときにしか見せない表情ってあると思う。ぼくは知らんけど。
あの2人良かったな、幸せになってほしいな、と思いながら帰ったら途中でいつも行くワインバーのおじさんにつかまって、2人でワインを飲んだ。
いつもより酔っ払ってその次の日は頭がクラクラしたけど、全く嫌な気分ではなかった。
おばあちゃんのケーキ
最近食べたシフォンケーキ。焼いたやつと焼いてないやつがあったんだけど、焼いてないほうがシンプルにうまい。
ぼくは焼き菓子が大好きで、中でもパウンドケーキが一番好き。パウンドケーキは夢がある。いろんな味の変え方ができるし、割と何をしても美味しい。紅茶のパウンドケーキに潰したカルダモンやシナモンなどを加えて「チャイのパウンドケーキ」を作ったことがある。我ながらなかなかの出来だった。
レシピ本もパウンドケーキのレシピ本がお菓子のレシピ本の中でもかなり楽しい。酒粕と桜の塩漬けのパウンドケーキとか、金柑とレモングラスのパウンドケーキとか、想像するだけで幸せな気持ちになる。ドキドキワクワクするような感じ。パウンドケーキはドキドキワクワクが他のお菓子よりも強い気がする。
今、実習でおじいちゃんおばあちゃんと接することが多く、そういうときにはやっぱり決まっておばあちゃんのことを思い出す。
母方のおばあちゃんは会うたびに元気元気でもはやうるさい。「すぽちゃんはほんまに優しいなあ!」と会うたびに泣いてくれる。孫馬鹿がすぎると思う。面白いエピソードはやまほどある。母はそんな祖母を「野性」と表現する。
それに引き換え父方の祖母は静かである。最近は会うたびに元気がなくなっているのでそれが少し寂しい。昔は一緒に高島屋に行って、グリル東洋亭のハンバーグとか食べていたのになあ。トマトのサラダが美味しいのだ。
そんな父方の祖母はぼくがまだ子どもの頃、よくケーキを作ってくれた。
ココアのマーブルケーキと、ベイクドチーズケーキ。
ココアのマーブルケーキは少し変わった形をしていて、真ん中に穴が空いたドーナツみたいな型で焼く。クリスマスに飾るリースみたいな大きさのドーナツ型。変な波波の型がつく。
たまにチョコレートの塊が入っていたりする。そしていつも上からおばあちゃんの漬けていた梅酒を塗る。なぜかこの梅酒がよく合った。ケーキの甘みとココアの苦味と梅酒の酸味が、どうしてか調和していた。
ベイクドチーズケーキは正方形の型で焼き上げられる。それはもう濃厚も濃厚って感じでけっこう重い。でも、ヨーグルトやレモン汁の酸味が効いてるし、なによりシナモンパウダーの香りが良い。ぼくはおばあちゃんのおかげでシナモンパウダーのことを知ることができた。
今はもう食べることがない。おばあちゃんも多分作る元気がないだろう。
ぼくの一人暮らしの家にはなぜかオーブンがあるから、きっと作ろうと思えば作れると思う。
でも、なんだかそのレシピを知りたくないなあ、と思うのだ。
おばあちゃんが作ったから多分うまかった。そういうケーキなんだろうなと思う。
同じレシピでぼくが作っても、それはただの美味しくも不味くないケーキなのだ。あのケーキなんかじゃなくて。たぶん。
爽やかに酔えば 大和撫子が 踊れ火の如く
昼から飲むビールが一番美味い写真。
酔っ払ったときに人の本性が現れるという。
確かにお酒の力は凄い。お酒の力があれば「前から思ってたけど、君の睫毛長いよね」なんて恥ずかしがらずに言うことができるのである。
女の子だって酔ってしまえばガードが緩くなる。だから男は女の子に気を遣いながらも酒を勧めようとするし、女の子も女の子で「ここで飲んだら家帰れるかわからないんだけどな」と思いながらメニューの「ゆずはちみつサワー」の文字を目で追ったりする。
しかも酔っ払えば記憶をなくしてしまえるらしい。記憶がなくなれば好都合なことなんかこの世にたくさんある。メン・イン・ブラックみたいに、パッと記憶を消せればな、といつも思う。メン・イン・ブラックは最高の映画だよ。
しかし残念なことに、ぼくは酔っ払って誰かに言ったことを全て覚えてしまっている。
朝起きてランニングをしながら思う。そういえばあのときあんなこと言ってなかったっけ? と。
なんであんなこと言ってしまったんだ。「ぼくはキミのためなら変われるから」なにそれ!? えっ!? キモ! キモくない? しんどい。成人した男子がそんなこと言ってるのめちゃくちゃしんどい。高校生なんかとっくの昔に終わってるよ?
しかも酔って言うことって本性とか正直なこととか言うじゃないですか。えっ、ぼくの本心それ? それ? そんな恥ずかしいことがぼくの本心? えっ?
しかももっと恥ずかしいこと言ってる。いやいやいや。相手が酔ってるとはいえ酷い。忘れててくれ。本当に忘れてて欲しい。忘れてる、ってことにしてくれ。
そう恥ずかしくなってぼくはまたホッピーを飲む。仕方ない男だな、と思う。
もっと世間一般のシティーボーイはさ、おしゃれなカフェで本でも読んでるんだろうな。
ぼくは中お代わりと唱えて、一人でまた頭抱えるのである。