思春期が終わる頃に君に会いたかったと思う
めっちゃいい映画でした。「ララランド」「T2」と続いて今年はいい映画に恵まれてる気がする。
なんかこう、パッと「ああ、そういうことだったんだ」って気付かせるような映画。別に人生観が変わるとかそういう大げさなことじゃないんだけど、あのときのモヤモヤとか影とかそういうのを、すーっ、と晴らしてくれるような。
あらすじは、まぁ映画の公式サイトとか見てくれたらいいんですけど。とりあえず「思春期の少年が周囲の大人や子どもたちと交流する」話。簡単に言うと。簡単すぎる。
で、観ていると気づくことがある。「ああ、自分はいろいろサボってきたんだな」と。
例えば15のときに何してたかって考えると、覚えたてのインターネットで様々な知識から偏見を構築してそれをひけらかして博士気取りして、周りとの交友もそこそこ、恋愛なんて、とか思ったりしてでも興味はあるから好きな音楽にその気持ちを投影して、もちろんセックスなんてする相手なんてもいなかったし。
でもこの映画の少年は、そういったぼくのしてなかった、考えてなかったことに正面からぶつかっている。
最近上手くいかなかったこととかよくわかんなかったこととかいっぱいあって、ああ、こういうのって15とか17のときに考えたり経験しておけばわかってたんだろうな、と。
やばい。もしかしたらぼく思春期終わってなかったのかも。
23にもなって思春期ってどうなんだ。
ああ!やばい!
そう思って映画館から出てなんかよくわかんないけど神楽坂と歩きたくなってコンビニでビールを買ってla kagùの前の階段のところでサッポロ黒ラベルを飲みながらwhitest boy aliveのアルバムを聴いてた。
そろそろ夏なんだけど夕方はちょっと冷える。オーバーサイズのシャツの襟の隙間とかから風がすーっと入ってくるのが気持ちいい。
なんだか自分の人生って、いろいろだめだなあ、と思いながらも、これから学ぶことがたくさんある、それもまた面白いのではと前向きに考えたりもする。
ビールを飲んでるときのぼくは強い。それに、サッポロ黒ラベルだし。でも、神楽坂でぼくみたいに缶の酒飲んでるの、ぼくとそこの電話で喧嘩してるメンヘラの女の子だけなんだけど、どうなんだろう。
シュワ、シュワ、シュワシュワ弾ける
急にクリームソーダが飲みたくなったのが昨日。
クリームソーダってそういえばちゃんと飲んだことない気がする。ものすごく味の想像はできるんだけど。多分クリームソーダを飲んだ瞬間に思うのは「なるほど、おおかた想像通りだ」という納得だと思う。
だから期待を超えない裏切らないクリームソーダを飲みたくなった。なんというか安心感がある。クリームソーダ。しゅわしゅわと弾けて刺激的なのに安心感がある。こんな飲み物、他にあるだろうか。
神保町をうろうろする。さぼうるはやっぱり行列。諦めてラドリオでも行こうかと思ったら満席。いや、じゃあミロンガ。流石のミロンガにはクリームソーダがあるに違いない。そう思ってミロンガに入って渡されたメニューにはクリームソーダがなかった。確かに入り口には「珈琲とビールのお店」って書いてあったけどさ。でも、クリームソーダぐらいあってもいいじゃん。
そういえばミロンガっていうのはアルゼンチンかどっかのタンゴのことを言うらしい。店内にはいつもタンゴが流れている。店員さんが可愛い。シックな店内なんだけど、陽気でどこか心地よいタンゴのリズムが心を少しだけ高揚させてくれる気がする。少しだけ、というのがミソだ。高揚しすぎると落ち着かない。なんか、リラックス出来るんだけど、ちょっと前向きにことを考えてみようかな、今日はもうちょっと遊んでみようかな、そんな気にさせるような感じ。
ジンジャーエールは普通に美味しいジンジャーエールだった。将棋の入門書を読んで、ちょっとボーッとして店を出た。
やっぱりなんかクリームソーダ飲みたいなあ、と思いながらバイトに向かう。夜に相対性理論の「ウルトラソーダ」とか聞いてみたりする。
ぼくはクリームソーダに何を求めているかはわかんないんだけど。まだ見たこともないクリームソーダに求められるものなんてないんだろうけど。だけど、なんとなく、クリームソーダが飲みたいなあ、と思う。
ポストカードの使い方がわからない
入院中の友達のお見舞いに行こうと思って、家で「苺ましまろ」を探してたらポストカードがたくさん出てきた。「モネ展」とか「印象派展」とか「フランシスベーコン展」とか行ったなあ、懐かしいと思いながら、なんでポストカード買ってたんだっけ? となる。飾るにも美味い飾り方がわからないし、別に誰かに送るわけでもないし。
絵はモネとかポール・シニャックとかが好き。ゴッホも好きだから印象派の絵が大変好みなんだと思う。ダリとかのシュールレアリズムな感じも好きなんだけどね。そういえば「ミッドナイト・イン・パリ」のエイドリアン・ブロディが演じるダリは最高だった。
昨日インスタグラムを起動したら、高校からの友人の写真。「○○(友人の名前)ちゃん 仕事お疲れ様! 疲れたときには甘いものをどーぞ ☆☆より」みたいな可愛い感じのメモとともにコンビニのロールケーキの写真。なんというか、純粋に羨ましいという感情しかなくて「いいね!」とかやってた。「いいね!」ってなんだ。そんな三文字でぼくの感情が表されてたまるか、と。
その友人はぼくと生年月日が全く一緒である。同い年。同じ誕生日。同じ牡牛座。虚宿。趣味も似ててそいつの好きなバンドはぼくもだいたい好きだし、ぼくの好きなバンドもそいつはだいたい好きだ。一緒にバンドを組んでブルーハーツの1000のバイオリンとかコピーした気がする。Lainy J GrooveとかYeYeのライブとか一緒に見たっけな。
しかし彼には付き合って四年目の彼女がいるし、なんなら彼女とずっといたいとか言っている。どこで差が生まれたのだろう。
昨日1人で飲んでたら彼から突然ラインが来た。なんだか疲れているようだったので「青山学院大学の女の子は最高だよ」って言ってた。
こういう差だな。とちょっと思った。
ちなみにぼくはコンビニのロールケーキで言えばローソンのやつが一番好き。あれは本当に、クリームが美味しい。
晴れた日にレインコート
一緒に飲んでた後輩が「寒い」と言い出したから最近買った黄色のレインコートを貸したらぼくより似合っていた。
昨日飲んでた後輩は武蔵美の四年生。就職活動に苦しんでるらしく「面接で失敗した」と三時間以上わめいていた。ぼくは就職活動なんてしたことないからその辛さがあんまりわかんなかったし、武蔵美なんて優秀なところに行ってるやつに慰める言葉なんて1つも思い浮かばんな、と思い「ジンジャーエールハイのジンジャーエールがウィルキンソンっていうの、めっちゃいい」とか言いながらレモンサワーの中に入ったレモンをじゃぶじゃぶと潰していた。
なんかブログに書くこともなくなって来た気がする。書いても書いても卑屈なことばかりで「どうせ俺なんか」とかそんなこと他人に聞かせてどうなんだみたいなことばかり書くと思う。
最近楽しかったことってなんだろう。
考えても仕方ないから何かしたいこととか食べたいものを考えてみた。
あれが食べたい。フルーツサンド。
前も書いたけどぼくはフルーツサンドがとても好き。
フルーツサンドってなんだか素敵な食べ物だと思う。
生クリームとフルーツってやっぱりいい。でもそこでケーキじゃなくてサンドイッチっていうのが素敵。その気軽さみたいな。ケーキってやっぱりケーキと向き合わなければいけないんだけれど、サンドイッチだったら、ほら。歩きながら食べられるし。かじりながら「これからどこ行く?」とか思えるわけだし。
京都のサンドイッチだとヤオイソが美味しかった気がする。生クリームの甘さがちょうどいい。あと四条大宮って中途半端なところにあるのがいい。
そういや千疋屋とか東京のイケてるフルーツパーラーのフルーツサンドたべたことないな。でもなんだか千疋屋でフルーツサンドを買うってけっこう勇気がいると思う。大人になってからにしよう。23歳の決断。
代官山にあったフルーツサンド専門店のフルーツサンドは美味しかった。隣のコーヒースタンドでコーヒーを飲みながら食べたのが、ああ、今ぼくお洒落だ、お洒落にフルーツサンドたべてる、とちょっとテンションが上がった。だって代官山だもんね。中目黒までそのまま歩いて行って服屋とか見てた気がする。お洒落だ。あのときのぼくお洒落だったな。
週末はフルーツサンドでも食べようかな。晴れてたら公園とかで。公園でフルーツサンド食べるって良くない? わからんけど絶対いいよ。
嘘みたいなウソで キミに恋してしまった
ハマって買った。ぼくは単純な男である。
本当にPVのイラストがかわいい。色遣いが特に良い。最近気づいたけど、パステルカラーとか原色系とかそういう色で構成された絵が好きなんだと思う。
今朝からなんか体調が悪くてなんでかなーって思ってたけど、どう考えても昨日21時までバイトしてそのまま1人でホッピー飲んでたからだ。寝不足である。アホかと思った。ホッピーはやはり良くない酒だ。
酔った勢いでツイッターの知り合いばっかりのアカウントで「本当に好きだった人を恋人にしたのか、妥協して恋人を作ったのか」とアンケートをとったら圧倒的に前者の方が多かった。その結果を見てた時はあまりに辛かったけど、家に帰ってから粗大ゴミ出さなきゃいけないことに気づいて酔っ払いながらテーブルを家の前まで運んだ。
俺の友人がみんな、「自分の好きな人」を彼女にしてる事実。
「恋人なんて妥協しなきゃできないもんだ」と23年間でぼくは学んだはずなのに、いったいどういうことなんだ
どうやら世の中の人は当たり前のように好きな人が恋人になるらしい。
確かにぼくは当たり前のことが当たり前にできない人間だし、朝7:25に大学に行くために支度をしているのに家を出ることがしんどくて絶対7:30まで椅子に座ってしまうような人間である。いつも自転車を漕ぎながらなぜあと5分早く家を出ないのかって考えてる。
だからといって、他の人にはできない特別なことができるわけでもない。生きるのは難しい。「朝はゆっくりとコーヒー。サラダ、そしてバゲットにエシレバター」なんてのは一生無理なんだろうなと思いながら今もガリガリ君食べながらまずい缶コーヒー飲んでる。
そういえば○○クラブってバンドの話。
最近なんたらかんたらクラブってバンドがオシャレみたいな感じになってるけど、やっぱりみんな1つや2つは俺はこれ!みたいなクラブを持つべきだ。ナンバーガールのイギーポップファンクラブでもいいよ。
ぼくはTwo door cinema clubが好き。高校生の頃サマソニで見たのが懐かしい。クソみたいに暑いしクソみたいな日差しだったのにクソみたいに踊った気がする。ライブが終わったら500mlのアクエリアスがすぐに空になった。でもアクエリアスって飲むとまた喉が乾く気がするんだよな。
あとmoscow clubがとても好き。下北沢でmoscow clubとAlpaca Sport の対バンを見たのは今でも自慢できる。自慢したところで「ハァ?」みたいな顔されるのはわかってるのに。ぼく的には、シティーボーイの権化、みたいな経験をしたつもりなのである。
Two door cinema club "I can talk"
moscow club "ootd release party"
嘘みたいなウソで キミに出会ってしまった
昨日からずっとORESAMAのオオカミハート聞いてる。めちゃ好き。PVが最高にかわいい。
でも23歳の男子が「まっほっうっにか〜かるよにっ キミに染まっていく〜♪」とか歌っているのはかなりキツイものがある。「キミ」ってカタカナ使ってる感じがキツイ。アジカンだって「君」って使ってるんだから。
しかしこういう歌の「めっちゃ相手に恋してる感」がすごく羨ましい。
ツイッターでよく流れてくる漫画の「好きには抗えない」とか「恋人のこと好きすぎて……」みたいなキュンキュンラブストーリー感じよりも、「やれたかも委員会」とか「セフレがどうこう」みたいなサブカルくせえ漫画の方がしっくりくる。もちろん、やれたかもみたいな経験もセフレがいたという経験もない。
恋愛ってしんどくない? って話を彼女がいて四年目の友人にしたら「俺は今でも彼女に恋してるけどな」などと返されてTKO。審判が止めに入って試合終了。まだ意識はあったから「ぼくかて付き合って三年目の彼女が欲しい」と叫んだ。
中学生の頃はそれはもう好きな女の子の着メロをチャットモンチーの「シャングリラ」にしてたぐらいだし、ぼくだって恋愛妄想青春爆走だったんだと思う。今では電気グルーヴの「Shangri-La」聴きながらオシャレな感じの「大人な恋愛」っていうのをオシャレな感じのサブカルくせえ漫画で学んで「本気で恋するとか中学生まででしょ」みたいなスタンスでいようとしている。サブカルくせえ漫画が何を伝えたいのかもわかってないのに。
しかし世の中の人はわりと恋とかしてそういうので苦しんだり楽しんだりしてるらしい。
それはまぁ、やっぱり嘘みたいなウソな話なんだろうと思うし、みんなもそう思いながら恋愛してるのかな、って思った。
そういえば抹茶ラテだと思って買ったのが新茶ラテだった。
うっす〜い抹茶ラテの味がした。緑茶はそのまま飲むのが一番である。
一人称が「俺」になるときに君に会いたくない
朝からyoutubeでORESAMAというユニットの曲ばっかり聴いてる。PVがサイコーにキュートで好き。
PVがサイコーといえばフジファブリックの「銀河」
邦ロックなんて聴かなくなって久しくなるけど今でもたまにふと観たくなる。
あと最近は「チャイナドレスは最高だ」という理由だけでAwesome city clubの「今夜だけは間違いじゃないことにしてあげる」とか水曜日のカンパネラの「一休さん」とか観てる。
あとラブリーサマーちゃんの「私の好きなもの」
お前、可愛い女の子が好きなだけやんけ、と言いたくなる気持ちはよくわかる。それ以外もちゃんと聴くから許して。turntable filmsとかも好きだよ、ほんとだよ。あとgroup_inouなんで活動休止したん?
昨日は高校の友人3人と居酒屋で飲んだ。みんな来年就職らしく、2人ともどえらい企業から内定を貰ってたし、1人は「丸の内で働きたさもあるけど霞が関で働きたいしな〜」と言っていた。何も言うことができなかったので「中お代わり!」とホッピーを飲んだ。クソみたいなぼくにはホッピーがよく似合う。
「企業から必要とされるのが気持ちいい、就活楽しかった」などと言う隣の東大生エリート。「俺なんか誰からも必要とされねえ」と言いながらマカロニサラダの穴に箸を通そうとする無能のぼく。なんか知らんけど一人称が「俺」に変わっていた。高校生の頃から一人称は「ぼく」のはずだったのに。
小学生の頃は「ぼく」で中学生の頃と高校の途中までは「俺」、高校の途中から大学と「ぼく」と使っていた。なんの変遷なんだろうか。本当のぼくはどれなんだろう。
「俺」って使える人となんか差を感じる。「俺」って使う人の方がかっこいいことが多い気がする。憧れる。でもなんかぼくがぼくらしいときは「ぼく」って感じがするし、そっちのほうが自然だから「俺」って言うのもなんだかな。
本当はどっちがいいんだろう、とか考えながらレモンサワーを飲んだ。焼酎がシャリキンで、グラスの縁に塩が付いてて美味しい。なんであのとき「俺」って言ったんだろう。ずっとそれが引っかかってて、帰り道に自販機でキレートレモンを買おうとしたら小銭がなかった。