「恋」

 

マルセイバターサンドは凄い。

 

美味しいなんて当然のことだから今では誰もそのことに触れなくなった。

例えばクラスでめちゃくちゃ可愛いと有名な女の子の話をするときに「○○ちゃんがこの前ノートに落書きしてたの、見た? MOTHER2どせいさん」と話をするときに、「○○ちゃんは可愛い」と敢えて言わないところと同じだ。みんな知ってるんだ。マルセイバターサンドが美味しいことを。

バターなんていう、凝縮された幸せをそのままクリームにするあたりが憎い。それだとちょっとくどいから、レーズンで、とんとん、と幸せに緩急をつけていくあたりもあざとい。最後にクッキー。クッキーはもう、喜び、という意味でいいと思う。犬の名前にもなるぐらいだし。

 

そんなバターサンドを包む銀紙がぼくは好きである。通貨としてそのまま使えるんじゃないかって思えるほどに美しい。

 

たとえばこれがぎっしり敷き詰められて、畳1畳分になったらどうだろう。金の延べ棒を見たときのような背徳感があるに違いない。触るとき、ぼくはきっと手袋をつけると思う。

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ぼくは思う。この真ん中の文字、「恋」でもいいんじゃないかと。

 

好きな女の子が仮に、誰かにマルセイバターサンドを渡していたらどうだろう。

 

「○○くん、これ」

「あっ、マルセイバターサンドじゃん」

「うん……」

 

ぼくは、教室の左後ろの窓際の席の側、揺れるカーテンが届かないほどの距離で、正面に向かい合った同級生の男に、制服のブレザーを端正に着る彼女がバターサンドを手渡しているのを見ている。

ああ、彼女はあいつに惚れたんだ。

そう思うはずである。

 

ぼくはマルセイバターサンドが、もしかしたら好きじゃないのかもしれない。

いや、マルセイバターサンドに罪はないんだ。悪いのはマルセイバターサンドを憎んでいるぼくなんだ。

マルセイバターサンドを好きにならないなんて、どうなんだろう。

なんの罪のないものを憎むなんて、最低だ。

でも、マルセイバターサンドのこと、好きじゃないのかもしれない。

 

そう思ってぼくは素直に彼女に打ち明けるのだ。

「マルセイバターサンド、好きになれないかもしれない」

彼女は笑う。

「それだけマルセイバターサンドのこと考えてるの、好きじゃない、なんてわけなくない?」

 

世の中、わりとこういうことが多い気がする。知らんけど。

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ちなみに「夜の梅」も、ぼくは通貨になりうると思っている。

この世界の片隅に紅茶

この世界の片隅に」という映画が良かったという話。

 

 

 皆さん見ました? ぼくは見ましたよ。

この映画、ほんとにいい映画だと思ってるので是非皆さんに見ていただきたいと思っているんですけどね、あっ、思わず敬語になってしまった、いや、ほんまにええ映画やねん。

でもその良さをどう伝えていいのかわからない。それがあるんですよね。

 

ぼくは、この映画のメッセージ性とかそういうのについて語るのはね、無理です。そんなぼく深い人生歩んでませんよ。ぼくには重すぎます。映画ボケ〜〜〜〜っと見てね、主人公に共感とか、何かに気づかされたとかね、そういうの言えない。そんな偉そうなこと言えない。気づいたことといえば、すずさんが可愛い。結婚したい。それぐらいなもんでしょう。

 

だから何が良いのか悪いのか、それはわからんのです。でもね、ただただ美しい映画だったんですよ。

美しい映画って、見て、エンドロールで曲が流れてきたときに涙が出てきませんか? この映画はそんな映画でした。ボケ〜〜〜〜っと見て、で、何を感じて良いのかわからず、そしていつの間にか終わっていて(あっという間の2時間だった!)、気がついたら涙が出ている。

 

映画という一つの作品として、とても美しいんです。

その人物がね、世界がね、美しくて愛おしいんです。

現実にあったことを背景としてる映画なのに、とても幻想的に見えるんです。

見終わったときに感じたのは、夢を見ていたかのような感覚。そして実は今ぼくも夢を見ているんじゃないかって感覚。

自分という存在に実感がなくなってくるんですよね。だから急に誰かの手を握りたくなったし、誰かとキスがしたくなった。自分の体温を感じるために。

 

そういう映画なんですよ。いや、何言ってんのや、君は。何言ってるんですかね。

 

しかし、まあ、ぼくは世界の片隅にいるわけで、そんな世界の片隅にいながら紅茶とケーキを喫しているわけですね。

 

もしかしたらこのケーキも夢のまた夢なのかもしれない。いや、しかし美味い。お酒の味がする。あれ、酔ってるだけなのでは。

あっ、そういえばキスがしたくなるとか言ってるけど、キスとかしたことねえから味がわかんないや。何味なんですかね。メロン味とか?f:id:usagiyasupon:20170111131519j:image

 

鴨川、カモリバー

京都を代表する川、鴨川。

数多くの本や映画の舞台となっており、その存在は今や京都について多少かじったことがある人なら絶対に知っていると思う。

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ちなみに鴨川より西は平安京の中。貴族がこぞって住まう地域であったとか。

鴨川より東は平安京の外。古いときは冥土だとか言われてたらしい。つまり東には農民か妖怪しかいない。

 

ぼくは、この鴨川には結構思い入れがある。

京都に帰省するたびに毎朝鴨川をランニングしてるし(くいな橋から出町柳まで往復する。多分17〜18kmある気がする)、高校時代は嫌なことがあるたびに鴨川を自転車で北上していた。

高校の時に、模試を受けるのが嫌で、解答用紙をビリビリに引き裂いて教室から逃げて鴨川をひたすら北上したことがある。鴨川デルタを左に進んで、鴨川が賀茂川に変わってからも北上し続けた。流れに逆らって。源泉には何かがあると思ってたに違いない。途中、霰が降り始めた。多分すごく寒い日だった。雲の合間から煌々と水面を照らす陽の光と、ぼくの周りにだけ降っていると思わせる様な霰が反射しあって、そのときはもうただ美しい光景に、なんで自転車を漕いでるのかわからなくなった記憶がある。

 

そんな鴨川でラブストーリーを繰り広げるというのは京都に住む少年少女の夢である。

鴨川の川岸に等間隔でカップルが座るという「鴨川等間隔カップルの法則」は、いつか俺も点Pになってやるぞと思わせる力が十分にある。

 

ぼくもあった。点Pになった瞬間が。

 

中学の頃に仲良くなって、いわゆるイキ告をしてフラれた女の子に、高校卒業前に一度会おうと言われたことが始まりだった。

彼女は京都で浪人をするけど、ぼくは進学のために東京に行くという設定だった。

どこで会おうって話になったときに、ぼくは「鴨川がいい。出町柳ミスタードーナツでドーナツ買って鴨川で食べよう」という、本来ならばデートに疲れてきたカップルが夕方ごろ手持ち無沙汰になって「これからどうする?」という彼女の問いに対して答える「思いつきにしてはそこそこよかったな」みたいな回答、をした。彼女はいいよと言ってくれたけど。

いよいよその日がやってきた。慣れた相手なので緊張は特にしなかった。フラれたことがある、というのはその日大きな財産となっていたのだ。気が楽すぎる。

ドーナツを買おうという話になって、彼女は「3個ずつ買おう」と提案してきた。「そんないらんやろ」とぼくは言ったけど彼女は折れなかった。何買ったっけ。結局。チョコファッションと、エンゼルクリーム。あとは多分彼女が選んでくれた。

結局「重い」と言って2個ずつしか食べられなかった。2個でも頑張った方だと思う。その日は天気はそんなに良くなかった。寒い寒いと言いながら、「なんで鴨川やねん、寒いやろ」と彼女はぼくを責めた。それ以外は何話していたのか覚えてない。多分将来のこととか話してた。

彼女はいったいなんでぼくを誘ったんだろう、と考えながら帰路に着いた。なんだか中学時代の自分のことを思い出しながら、ぼくはちょっと気持ちの悪いことを言った。

「手繋いでいい?」

ほんとは土下座して「キスしてくれ」と言うつもりだった。前日までは。

「キモい」

確かに。

「あの橋と橋の間だけ」

なんだその、先っちょだけでええから、みたいなのは。

「それやったら、まあ」

ええんかよ。

 

そのあとは高瀬川の方まで歩いて解散することになった。「じゃあ、東京行っても元気で」と言われた瞬間に、もう会えないのか、としみじみした。そのとき、彼女は少し可愛らしい、小さな封筒を取り出した。

「じゃあ、これ。家帰ってから読んで」

「えっ? なにそれ」

彼女は頬を紅潮させながら、渡してぼくを叩いた。

「……」

なんで黙んねん、と言おうとしたときだ。彼女はぼくの手から封筒を奪った。

「やっぱあかん! これ、なし!なし!」

「えっ! それはあかんやろ!」

「なし! バイバイ! はよかえれ!」

「いやいや、気になるからー!」

「じゃあね! バイバイ!」

「えーっ……」

そう言って、彼女は去っていった。

 

出町柳賀茂大橋の下を通るたびに、あの手紙はなんて書いてあったんだろうと気になってしまう。

 

それ以来、ぼくは女の子の「これ、もしかして付き合えたりするやつなのでは?」という言動には懐疑的になっている。

 

鴨川はどこかに繋がっている。神田川とか、琵琶湖とか。たぶん。

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ハチミツとトースト

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 菓子パンよりも最近はトーストが好きだ。

トースト。食パンを好みの厚さに切って、焼く。それだけのシンプルな食べ物だ。

シンプルだから、食べ方というのは人それぞれだ。そこに性格が出るとか出ないとか誰かが言う気がする。もちろん、きっと童貞の中学生も「男の人って結局は何も考えてないんだよね」なんてわかった風なことを言う21歳の社会人ニ年目の女性も「こんがり目に焼いてイチゴジャム付けるのが好き」と言う可能性があるんだから、一概に性格が出るとは言えないけれど。

 

ちなみにぼくは先に蜂蜜を塗ってそれから焼くのが好きだ。熱々の蜂蜜と、それがよく染み込んだ食パンという、深い付き合い方がぼくは好きなのだ。そこにはもう何も入り込む余地がない。ブルーベリージャムでさえ、この領域には入れない。

 

ところで世の女の子はどういう風にトーストを食べるのだろう。

女の子とトーストを食べるという機会は滅多にないと思う。ある人は正直に手をあげてほしい。ぼくは思う。その人たちはすごい。女の子とトーストを食べる。それはもうプロポーズじゃないだろうか。

「こんがりめだっけ?」

これはもう、愛だ。愛でしかないと思う。女の子にトーストを焼いてあげる。まだちょっと眠そうな彼女は、マグカップを両手で持ってコーヒーを飲む。マグカップはマリメッコのやつが良い。ぼくは以前先輩にプレゼントでもらったやつを使ってる。

彼女のトーストの食べ方を覚えよう。こんがり目に焼いて、マーガリンをつけ、そして、ああそうだ。彼女はりんごジャムが好きだった。それも、実家(りんごが美味しそうなとこってどこだろう)から送られてくるやつだ。地方にしか売ってないんだってさ。

明治屋でりんごジャムを見るたびに彼女のことを思い出す。シナモンが入ってるやつ、彼女は好きだろうか、と考える。

 

君はどういう風にトーストを食べるの? ぼくは気になって仕方がない!

 

 

ところで、書いていた作品「キツネ・サマー・サヨナラ」が完結した。一応。

ぼくは人の意見をもらい、改稿を励む厚かましいタイプだ。一人で小説なんて書けるわけがない。

だから何か感想一言でも、アドバイスなんてくれたらそれはもう飛び上がるほど嬉しいので、宜しくお願いします。

 

今年も一年お疲れ様でした。

来年も良い年になるといいな。

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フルーツサンドとアイラブユー

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フルーツサンドってすごくイケてると思う。

まずサンドイッチっていうところがイケてる。ぼくはサンドイッチ片手に自転車を漕ぐことが所謂「スマート」だと思っている。

そしてフルーツというものはイケてる人が口の中に放り込みがちなものである。りんごを丸かじりしてる男を街中で見ると、イケてるな、とぼくは思うし、テーブルの上にフルーツがちょこんと置いてあれば、そのテーブルはもはや文化だと思う。

そして生クリームはおいしい。そこはイケてるがどうかは置いておく。

 

文章を書くとお腹が減るのは、たぶん普段まるで使わない頭をちょっとばかし活用しなければならないのが1割で、甘いものが好きというのが9割だと思う。ぼくは今、とてもフルーツサンドが食べたい。

 

気がつけば小説を書き始めてから一年半ぐらい経っていた。それというのに未だに初めて書いた作品「キリンは電車に乗って」や、3つ目に書いた作品「山羊が降る夜に会いましょう」より高い評価を周りから得ることのできる作品を書けていない。2歩進んで4歩ぐらい下がってる気がする。しかも元に戻るじゃなくて、変なところに行っている。上記の作品だって、プロには評価されていない。なんだかんだで失敗作しか書けていないのだと思う。成功というのは難しい。

 

失敗した作品にも思い入れはあるから、上手く書けなかったということを認めながらも固執してしまうときがある。「でも俺は好きなんだよ」と言いたい。

む、この感じ。アレじゃないのか。フラれた女の子に、フラれるとわかってる女の子に「好きなんです」と言いたくなる感じ。

実らないとわかってるんだ、と言いながらなぜか「アイラブユー」と言いたくなる。言えばスッキリすると思ってる。そして勝手にスッキリした気持ちになってる。

そりゃずっとせき止めてた気持ちを放つから、スッキリする。ずっと我慢して、ようやくの思いでトイレに駆け込むのと同じ。

もしかしてそういう告白はトイレと同じなのでは? 女の子のことを勝手にトイレとみなしてるだけなのでは? 

 

いやいや、これはよくない。そう思ってぼくはフルーツサンドを食べる。イケてるから。ぼくはフラれてないから。

 

サタデー・ミスタードーナツ・クラブ

「なんか急にミスドに行きたくなっちゃった」

と言われると「うん」としか言えなくなる。

ぼくは常にミスタードーナツに行きたいと思っている。でも、何かしらの事情で我慢している。カロリー。時間。お金。ミスタードーナツとぼくを遠ざける理由はたくさんある。だから行かない。我慢する。

けれど、彼女が言うんですよ。「ミスドに行きたくなっちゃった」それに反応するのはぼくの積み重ねてきた建前ではない。

「うん、行こう。ぼくも行きたかってん」

根っこの部分。心である。

 

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ところでミスタードーナツは本当にいいお店だと思う。ぼくは絶対にセールの時ではなく定価でドーナツが売られているときにミスタードーナツに行くようにしている。それほどミスタードーナツのことを考えてる。でも一方通行だから、もしかしたらミスタードーナツは「セールの時にこそ来てくれ」と思ってるのかもしれない。誰かのために、と考えたことが仇になることは往往にしてある。相手が女性ならなおさらだ。ミスタードーナツはきっと男性なのだろうけど。

何がいいかって聞かれたら困るけど、とりあえずいっぺん行って欲しい。行ってホットのコーヒーかカフェオレを注文して、ドーナツを1つ。お腹が空いていたら2つとか注文してもいいかもしれない。トレーを持って好きな席に行こう。女の子と来るならきっと向かい合ったほうがいい。そしてホットのコーヒーを飲む。きっとわかるはずである。

 

ところで女の子とミスタードーナツに行くという行為は非常にいいことだと思う。「とりあえずミスドに集合ね」なんて素敵だ。ミスタードーナツはちょうどなんだ。手を抜きすぎてないけれど、力を入れすぎてるわけでもない。

集まって何喋るかなんて知らない。

「距離感ってわからんよね」

「どういうこと?」

「恋人との距離感とか、友達との距離感とか」

「ふーん」

「例えば仲良い友達の距離感が1メートルやとして」

「じゃあ恋人との距離感は2メートル?」

「あれ?0メートルとかじゃなくて?」

「どうだか」

みたいな、思いついたくだらない話でいい。何回話が振り出しに戻ってもいいし、なんなら喋らなくてもいい。その間はコーヒーのおかわりを持って来るお姉さんが埋めてくれるはずである。「コーヒー、お代わりいかがですか?」「ありがとうございます」そして、コーヒーの香りが広がる。誰かが隣に座ったような気分だ。彼女はきっと、また話したいことを思い出すに違いない。

ミスタードーナツで会う、そのことに意味がある。そうだ。毎週土曜の夜、ミスタードーナツで会おうよ。サタデー・ミスタードーナツ・クラブ、これでどうだ。スケジュール帳には書いておこう。

ミスタードーナツで会って話して解散。そんな高校生みたいなことでいい。お互いの関係とかどうでもいい。多分幸せってそこにあるんじゃないですかね。ほら、たまにはフレンチクルーラーでもたべるか、みたいなことを思うような、幸せ。

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亀十が好きなあの子とぼく

亀十というどら焼き屋があります。

 

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 いや、どら焼き屋というには語弊がある。正確には和菓子屋であり、そこのどら焼きが目玉商品なわけであります。

1個315円。どら焼きにしては少々高い。しかし、土日となると行列は絶えることはなく、東京一有名などら焼きであると言っても過言ではありません。

 

この人気の正体は果たして。亀十の謎を追い、一同は浅草へと向かったのである。

 

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結論を言うと、美味しいのです。ただ、ぼくは亀十よりも好きなどら焼きがある、それだけ。

しかしここで問題がある。例えばあの子、ほら、あの子。教室の窓際で窓の外を、ぼけっ、と眺めていて、なにを見てるのかなと気になって近づいてみると、「あっ、 すぽん君、この前言ってた穂村弘の本、買ったよ」と言うようなあの子です。

あの子がもし「一番好きなどら焼きは亀十のどら焼き」と言えばどうなるだろう。

これは重要な問題です。人として、男としてどうなのか、を問われている。皮と皮とで挟まれた、あの粒あんに。

例えば「亀十美味しいやんな〜。でももっとぼくが好きなどら焼きがあんねんか」 と返すのはどうだろう。

これは自分の趣向と博識(どら焼きに関して)をアピールすることを旨とした返答です。

「すぽん君って、私よりどら焼きについていっぱい知ってるんだ……きゅん」

うん。いいんじゃないですか。やはり男は「パエリアってもともとは内陸で作られてたんだよ」と言えるぐらい博識であるべきですし、こだわりというものを持たなあかん。そう、男として。男としてどら焼きに妥協してはならん。

しかし、これでは「君とは合わない」とか「君はなにも知らないんだね」というニュアンスになりかねない。女性は共感を求める生き物であると、ネットのコラムで読んだことある気がします。そうだ、違う。共感なんだ。

「亀十美味しいやんな。この世で一番好きなどら焼き、亀十。亀十は美味い」

これでどうですか。亀十って三回言ってるし。

いや、でもこれを言ってあの子が喜んでくれたとしても、もしかしてたいへんな嘘をついてしまったのじゃなかろうか、とぼくはずっと胸の奥で悩み続けるのかもしれない。

ああ、あの時嘘をついてしまったんだ、と。

例えば結婚して、披露宴で「新郎新婦をつなぎとめたのは亀十のどら焼き」とか言われたらどうですか。ずきん。痛む。これは胸が痛む。ごめん、ほんとはぼく、うさぎやのどら焼きが好きなんだ。例えば彼女が浅草に寄るたびに「あなたが好きだと言ったから」と亀十のどら焼きを買ってきたらどうか。ああ、美味しいね、って、言いながらも「ひょっとして彼女はメンヘラなのでは?」と思ってしまうんじゃないかって。

 

たいへんだ。これはたいへんな問題だ!

 

そう言いつつ、ぼくは「うさぎや」にどら焼きを買いに行きます。なんでもいい。君が笑ってくれればそれでいい。そうだ。君にもこのどら焼きをわけてあげよう。口に合わなかったらそのときはそれだ。別に、どら焼きの好みが一緒の君が好きなわけじゃないし。つぶあんが好きならそれでいいんです。こしあんが好き? ちょっとそれはどうかと思いますけどね。